寅彦と宇吉郎を若い世代に
今年高知では、県立文学館の開館五周年などの節目に、寺田寅彦に関連のある企画がいくつも行われるとのことです。 このことは、中谷宇吉郎を通じて寅彦を尊敬する私にとっても、ご同慶の至りです。 二年前の宇吉郎の生誕百年では『寅彦と宇吉郎の絵画展』を加賀市で開催し、高知県立文学館から寅彦の絵を多数お借りしました。 今年春には、今度は高知の交学館で同じような展示が行われました。 <寅彦の高知>と<宇吉郎の加賀>の交流が具体的に進展していることを嬉しく思います。
宇古郎は「もし先生を知らなかったら、私は今日とはまるでちがった線の上を歩いていたことだろう」 (「寺田先生の追憶」)と書いているように、宇吉郎は恩師の寅彦から、科学、芸術から人生まで、強い影響を受けました。 そして、寅彦の考え方をよく吸収し、宇吉郎らしく展開していきました。
宇吉郎は、寅彦について沢山の随筆を書いています。 例えば「先生を囲(めぐ)る話」に収められた「続」も含めて四十ニの小話には、実験室や応接間などで話された、 機知に富む寅彦の雑談の様子が再現されています。 それが醸し出す雰囲気は実に好ましく、これが寅彦流の教育なのだと納得させられます。 又、これらの雑談を記録し、寅彦の没後に随筆にまとめた宇吉郎の才覚にも感心させられます。 小話の一つに、「僕が今一番読んでみたいと思うのは、僕が死んだら、皆が僕のことをどういう風に書くだろうということだ。 君、何かそれを読む巧い方法がないだろうか」と寅彦が言ったという話がありますが、もし可能なら、 あの世の寅彦から、宇吉郎の随筆の感想を聞いてみたいものです。
それは冗談だとしても、未来の寅彦や宇吉郎として育つかもしれない若い世代に、寅彦や宇吉郎の随筆を是非読んで欲しいと、 これは本気で思います。例えば、雪の科学館の映画『科学するこころ』でも紹介している次の一節などは、 学ぶ者と、指導する者とに、何がしかの示唆を与えるであろうと、私は思っています。 ――「ねえ君、不思議だと思いませんか」と当時まだ学生であった自分に話されたことがある。 このような一言が今でも生き生きと自分の頭に深い印象を残している。 そして自然現象の不思議には自分白身の眼で驚嘆しなければならぬという先生の訓えを肉付けしてくれるのである。 (「指導者としての寺田先生」)
総合的学習など、最近の教育界の新しい動向を考えればなおのこと、若い世代に寅彦や宇吉郎の視点が伝わり、 それが生きるヒントとして役立つことを期待したいのです。
藤波の森Vol.18 リレー随筆⑱ 2002年10月1日
