未来に繋がる研究
中谷宇吉郎は、今から90年以上前に雪や氷に関する物理的研究を開始したことでよく知られています。現代から見るとずいぶん古い研究でもあり、一時期はすでに完結した研究と言われたこともあります。しかし、雪や氷に関する研究というのは、現代でも、いや現代になってさらに重要な位置を占めるようになっています。そのいくつかを紹介します。
まず、雪や氷、もう少し広く言って寒冷圏に関する科学は、地球科学や環境科学などの分野で極めて重要です。たとえば、我々人類にとっての喫緊の課題である地球温暖化に伴う気象や気候の変動は、寒冷圏になるほど顕著な影響が現れると考えられています。ヨーロッパアルプスにおいて氷河が縮小していたり、北極海の海氷が消えてなくなりそうになっていたり、南極の氷が融け出していたりという話は、最近良く耳にします。これらの現象は、雪や氷が0℃を境に固体と液体の状態をとるという特性と密接に関連しています。すなわち、雪や氷の成長や融解などの相転移と呼ばれる現象の理解が、このグリーバルな現象の理解や解決を図るうえで重要な鍵になります。中谷宇吉郎が研究を行った頃は、地球温暖化などの問題はありませんでした。しかし、中谷はその随筆の中で、二酸化炭素のガスが地球の温暖化の引き金になる可能性をすでに指摘してます。雪や氷の研究を通じて、地球に起きる将来の大問題を予見していたとも言えるでしょう。
さらに、雪や氷の特性に関する研究も、現代科学のさまざまな分野で生かされています。例えば、中谷の人工雪の研究は、結晶はどのようなしくみで成長するのかということを研究する結晶成長学の分野でも、その先駆的な研究として知られています。驚くことに、中谷が研究を行った1930年代には、結晶は時間とともに成長していくという基本的な概念がまだ一般的になる前になされたものであることです。雪や氷の結晶をもとに結晶の成長のしくみを明らかにすることで、どんな結晶にも当てはまるこの現象の基礎的な知識を得ることができるのです。この研究分野は、新たな基盤材料の開発や半導体基板のベースとなる人工結晶の生成など、日本の戦後の科学技術の発展を支えました。雪や氷という身近に存在する結晶の研究で得られた基礎知識が、現代の私達が享受する科学技術の発展とも関連があるのです。
さらには、近年では、我々の住む地球だけではなく、惑星空間にも大量の氷が存在することが知られています。このような氷は、惑星系の進化にともなう新しい分子の生成や生命の起源とも深く関連し、さらに人類が宇宙探査に出かけるときの水の確保などでも、極めて重要なものです。中谷が研究を行った頃には、もちろんこのような事実さえ知られていませんでした。しかし、ここでも中谷の行った研究が、その源流として今も息づいていることに、もうお気づきのことと思います。氷と宇宙、そして生命進化との関わりについては、本科学館で行われた講演会の様子を紹介する記録もあり、YouTubeチャンネルにおいて公開されています。
中谷宇吉郎が研究を行ったのは、1930-60年代の間です。もちろん、中谷の研究成果が現代の研究と直接的に関連することは少なくなってきました。しかし、現代の新しい科学のルーツを探ると中谷の研究に行き着くということが、今日でもよくあります。中谷宇吉郎が創設に関わった北海道大学附置の低温科学研究所では、雪や氷、そして地球から惑星空間にまで拡がる寒冷圏で起きるさまざま現象、さらには寒冷圏と生物の関連に関する研究に至るまで、非常広い分野の研究が行われて、大きな成果を上げています。ここでは、まさに、中谷の行った研究が、今も息づいているのです。
最後に、物理学者であった中谷の研究が、現代物理学とどのような関連にあるのかも、大変興味深いポイントです。これについては、岩波書店発行の雑誌「科学」の巻頭エッセイ(下記のサイト)に説明がありますので、これも参考にしてください。
(回答掲載日:2024年8月27日)